コン、コン、コン。
「お兄さん、こんにちは」
今日もお兄さんからの返事はない。
きっとまた熱心に絵を描いているんだろう。
相変わらず勝手に上がり込み、キャンバスに向かうお兄さんの姿を見て安心する。
お兄さんの異変に気付いてから、ずっと胸がざわざわして落ち着かない。
「・・・・おや、こんにちは。」
いつもの声は酷く掠れている。
「・・・?お兄さん、その声はどうしたの?」
お兄さんは僕の質問に一瞬ぎくりとし、咳払いをした。
「きっと風邪をひいたんだ。」
恥ずかしいような顔をして、たははと笑った。
アトリエに並ぶお兄さんが描いた絵を見渡す。
・・・・やっぱりだ、新しくなるにつれ、色が薄くなっている。
にわかに信じ難い予測だが、何となく僕は確信していた。
「ねえお兄さん、いつも絵を描いてばかりで疲れない?どこか遊びにでも行こうよ」
唐突な提案だった。
「・・・え?どうしたの急に・・・」
「いっそ思い切って旅行でも行こうか!景色の綺麗な所へ!」
「あの・・・どうしたのって・・・・・」
お兄さんは驚いて戸惑っている。
僕はとにかく、お兄さんを絵から離したい。
「・・・・お腹空いてない?僕、ご飯作ってあげるよ」
「えっ、君料理できるのかい?」
「うん、実は得意なんだ。お兄さんに振舞うのは始めてだね」
「そう、だね・・・・えっと・・・たのしみ、だな」
お兄さんがふわりと笑う。
その笑顔に、胸が締め付けられる。
僕はキッチンへ向かい、手際よく皿に盛り付けをする。
お兄さんの前に皿を置き、言った。
「さあどうぞ、シェフの気まぐれ絵の具でございます。」
皿に置かれたのは、チューブに入ったままの
色とりどりの絵の具。
「え・・・?えっと・・・シェフ、これは・・・・・」
お兄さんは流石に狼狽えている。
「・・・っ、いいんだよ!食べてよ!」
大声を出すと、お兄さんは肩をびくっと震わせ、半分灰色になった瞳を見開いた。
「気付いてるんでしょ、自分でも。
お兄さん、日に日に薄くなっていってるんだ、色を失ってるんだ!」
「・・・・・・」
「だから食べて、色を戻して、お願い・・・・・
絵ももうこれ以上描かないで、これ以上色をなくさないで、お願い、お願い・・・・・」
椅子に座るお兄さんの足元に跪き、縋った。
その頭をそっと撫でてくれた。
顔を見上げると、優しい笑顔で僕を見ていた。
お兄さんは皿の絵の具を取り、蓋を開けて口に含んだ。
その味に顔を歪め、ゆっくりと絵の具で真っ赤になった口を開いた。
「お兄さんはね、こんな物も食べれてしまう程絵を描く事が好きなんだ、
ちなみに絵の具を食べるのはこれで2回目だ。」
「え・・・・・」
「・・・もう試したんだよ。色が戻る事は無かった、それでも描く事を止められなかった。」
「おにいさ・・・・、」
「声色って言葉、あるだろう?声も色なんだ。だから、日に日にこの声も掠れてゆく。」
「嫌だ・・・・・・」
「けれどどうか、どうかお兄さんの事を忘れないで。私がここに存在していた事を覚えておいて。」
「・・・・・・・・・っ、」
「君は、色をなくさないでいて。」